【 様々な治療法とその一例 】


皆さんはどのような治療を受けてらっしゃるのでしょうか?代表的なものは『音声訓練』『注射』『手術』。
それらを単独で受けたり、組み合わせて受けたりと言ったところでしょう。それぞれの治療を受けて、効果がでてしゃべりやすくなった反面、こんなはずじゃなかったと思われることもあります。同じ治療でも効き目には個人差があり、一概には言えませんが、マイナス面を例えると『注射』では薬の効果が数ヶ月で切れてしまう。副作用の擦れが強く現れる。薬が効かないときがある。等々『手術』では再発する例がある。再手術が困難。手術法が確立されて年数が経ってなく、症例が少ない。等々それぞれの治療法には、プラス面とマイナス面があります。そして、個人個人によって、それらの現れ方は様々です。医師や患者同士で充分に相談し、納得のいく治療を選択してもらえたらと思います。
そこで、今回はいろいろな治療法がある中、『手術』を選択された柳原さん(仮名)の手記をご紹介したいと思います。

※ 手術を奨励しているということではなく、様々な治療法のうちの一例として捉えてくださいね。



はじめまして。私、神奈川県藤沢市在住の柳原(仮名)といいます。去年の10月に痙攣性発声障害の治療として手術を受けましたが、今回は私の経験を通して手術という一つの選択肢を皆様にご紹介出来ればと思い手記を掲載することにしました。病気についての手記ですが、重い内容は本意ではなく、メールのように気楽に書かせて頂きますので、読んでいる皆さんも僕と話をしているように、軽く読み取って頂ければ幸いです。(^o^) こんな雰囲気で!

 まず最初に、僕が手術を受けようと決心した経緯についてお話しておきます。
僕が喉(声)の異常に初めて気が付いたのは、野球チームで大きな声を出している時でした。大きな声を出そうとすると、喉が詰まってしまい、絞り出すような苦しい声になってしまう・・・。最初は「あれ?なんか声出ないな〜」と、その程度の自覚症状でした。しかも、その違和感は大きな声を出す時だけで、日常の会話ではまだ全く気になりませんでした。

この違和感が日常生活に入り込んで来たきっかけは電話の取次ぎでした。僕の職場では、同じフロアに数十名の人間が机を並べて仕事をしていますが、電話を取り次ぐ際、時には大きな声を出す必要があります。「○○さ〜〜〜ん!
4番で〜す!!」という感じで。その場面で「あれ?声が出ない・・・なぜ?」が日常生活に入り込んで来ました。この後の経緯は皆さんも容易にご想像が付くかと思いますが、段々とこの違和感を気にするようになり、

     気にすれば気にするほど悪化→
     近所の耳鼻科に行くが異常なしと診断される→
     医者を変えてみるがやはり異常なしと診断される→
     インターネットで調べてみる→
     この病気の存在を知り、自分の症状と酷似していることを知りショックを受ける→
     
SDの会の存在を知る

少し話は飛びますが、僕も今までに
3、4回千葉で注射を受けました。不安と緊張とすがるような気持ち、そしてちょっぴり遠足気分(^^;で千葉に行きました。待合所では若い女性が多いことに気が付き、お喋りしたいであろう年頃の彼女達の心の重荷を思うと娘が二人いる僕には胸が詰まる思いをしたことが思い出されます。

僕の場合、薬が効き過ぎるのか、注射する薬の量を減らしても3週間は声が出なくなってしまうんです。会社では電話、会議、声への質問に怯え、家では声が出ないストレスから、時に家族に八つ当たり、弱音を吐いたりしました。

そんなことで、注射への希望もだんだんと薄らぎ、「もういい!注射しないで頑張る!!」と決心して約1年間、何も治療せず毎日毎日喉のことばかり気にして過ごしました。でも、やはり弱い自分が出てきて、耐えられなくなってきて・・・そして悔しくなってきて・・・。。。これが手術を本気で考えるようになるまでの経緯です。

「根治してやる!こんな病気にいつまでも付き合っていられるか!」と一人で燃え上がっていました。
・・・すみません、ちょっと前置きが長かったですね。(^o^では、本題の手術の話にジャンプします。

 この病気の治療に手術という選択肢があることは以前から知っていましたし、僕が痙攣性発声障害という病気であると始めて診断して頂いた横浜の先生にも一つの選択肢として紹介は受けていました。でもやっぱり怖いですよね、正直な話、喉を切るなんて・・・。いろいろな方法があるみたいで、とれが自分に合っているのかわからないし・・・。本当に治るのかもわからないし・・・何よりも声を出す部分にメスを入れることへの不安。失敗したら・・・声が変わってしまったら・・・ダメだやっぱり怖い・・・怖い・・・注射を受けていた頃から手術に興味は有りましたが、僕の中ではまだ壁の向こうの話でした。しかし、前記したように、いろいろ経験し、考え、最終手段として手術を選択するまでに至ったのですが、手術を受けるという決心のもと、再び横浜の先生を訪ねた時の喜びは今でもよく覚えています。

     @ 手術の方法はもう確立している。
     A 30分程度の簡単な手術であり、内視鏡で行うので、外傷を伴うものではない。
     B これまでに何人もの患者さんに手術を施し、治癒している。
     C 症状を抑えるという点では注射という方法があるが、治療という点では手術しかない。 

と自信を持ってご説明頂いたことは、まだ迷っていた僕の背中を思い切り蹴飛ばしてくれました。横浜の先生のご紹介でステージは東京青山の音声専門の病院に移ります。この病院では、以前、注射を受けるようになる前に一度診察を受けたことがありますが、手術を受けるという前提で訪れたのは初めてで、執刀して下さるという先生からご説明を受けました。この先生は、音声外科の権威でテレビにご出演されている姿を拝見したことがあります。この時初めてこの先生の診察を受けたのですが、僕の症状を自分のことのように理解し、苦しさ、辛さも把握して下さっていました。この病気の原因が何処にあるのか、どこをどのように手術するのか、術後はどうなるのか、丁寧にリラックスした雰囲気でご説明して頂きました。

また、音声訓練の先生にも僕の質問に一つ一つ丁寧にご説明を頂き、僕の手術の決心は、ここで確固たるものになりました。手術日を決めた後、手術前に2回程、診察を受けました。僕の症状に合った手術を施す為の事前検査と、僕の意思の確認の為です。専門的なことはわかりませんが、僕の場合は、声帯の周り(左右)で突っ張ってしまっている筋肉を切除するというものでした。要は悪さをしている筋肉を取ってしまうという処置です。

手術前にご説明を受けていた内容は次の通りです。

     @ 現在の症状は改善する。
     A 声は若干変わる。ただそれは小さい変化であり、若干声が高くなる傾向がある。
     B 術後、症状が再発した事例はない。
     C 声帯の周りの筋肉を切除するが、症状によって切除量が異なり、判断は医師に委ねられる。
     D 全身麻酔で行い、時間は30分程度。手術そのものは簡単なものである。
     E 術後、一週間は完全沈黙が必要。
     F 入院は手術前日から術後二日間。

 手術当日、僕は不安より、むしろワクワクした気持ちでいました。もう覚悟は出来ていたし、先生やスタッフの方々、そして携帯に届く家族からの応援メールから大きな勇気を貰っていました。T字帯をギュッと締め、いざ手術室へ。横たわったまま手術台に移され、ライトが照らされ・・・ウウッ、やばい、やっぱり怖い・・・全身麻酔を受け、1、2、3、4・・・・・「終わりましたよ〜、わかりますかぁ?」と先生の微かな声。あれっ?終わり?あれっ???

 これから一週間の完全沈黙が強いられます。僕らには小さなホワイトボードが・・・傷の痛みも殆どなく、なんと夕食には普通のご飯が出ました。これが豪華豪華!!(^^)v朝から何も食べていなかった僕にはもう最高!!あまりにも美味しいので、ご飯のおかわりをしようとお茶碗持ってナースセンターへ。完全沈黙を強いられましたが、これがなかなか難しく、看護婦さんに何回怒られたことか。お茶碗片手に怒られている自分の姿がなんだか妙に滑稽で・・・でも笑い声もNG!ここでまた怒られる!僕は看護日誌に警戒人物として記録されていたらしく、翌朝別の看護婦さんにもいきなり注意を受けました。なにやら、ヒソヒソ声が喉には最も悪影響だとか・・・

 楽しい入院生活が終わり、仕事に復帰。ここでも傍らにはホワイトボードが・・・ここでの沈黙は病院よりなお難しい。でも我慢我慢・・・職場の皆さん、ご協力有難う!!

 ホワイトボードと過ごした一週間が過ぎ、いよいよ声を出しても良くなりました。が・・・・・・出ない、声が全然出ない。出るのは擦れた小さな声だけ。振り絞っても出ない!!どうしよう、全然、声が出ない・・・まさか失敗か、筋肉を取り過ぎたのか・・・これは本当に焦りました。もう目の前が真っ暗になりました。取ってしまった筋肉は戻せないし、どうしよう、声を失ってしまった、どうしよう。すぐに病院に電話。声をふり絞るように「先生、声が出ませんっ!出ません!!」先生は「慌てないで、大丈夫です。慌てないで。」と。

後の術後検診の際、この件を先生に話したら、ニコニコしながら「ごめんね、ここは説明不足でしたね。」と。「本当に焦ったんですよ〜、本当にビックリしましたよ」とニコニコしながら僕。声はその後、除々に出るようになり、手術は成功したと自分でも判断出来るようになりました。

 去年の10月に手術を受け、今は7月末、約9ヶ月経ちましたが、経過を報告しておきます。

@声の詰まりは『ほぼ』消えました。
 『ほぼ』としたのは、完全なゼロにはなっていないという意味です。この病気になる前の健常な状態には戻っていません。自覚症状は、手術前の状態が『10』だとすれば、手術後は『2』程度は残っています。 でもそれを感じるのは僕だけであり、僕と話をしている人は何も気が付かないでしょう。

A声量が少し落ちました。
 筋肉を切除した為でしょうか、少し声が小さくなりました。 声が小さくなった分、健常時より声を強めに出す必要があるので、連続の長い会話は少々疲れます。大きな声も出せばちゃんと出ますけどね。

B少しハスキーになりました。
 若干ハスキーになりましたが、術前に言われていた声が少し高くなるという症状は大きな声を出す時にだけ少し現れます。ハスキーと言っても知人から「ハスキーになったね」と言われたことはありません。ただ、先日、昔の友人と数年ぶりに電話で話をする機会がありましたが、その時に「風邪ひいてる?」と聞かれました。

C高い音が出なくなりました。
 日常生活には全く支障はありませんが、カラオケでサビの部分が出ないことがあり、少々寂しい気持ちになります。

D精神的な苦痛からは開放されました。
 これは本当に大きなことです。朝、目覚めと同時に喉のことを考え沈み込んでいたあの頃の自分はもういません。


■ まとめ

手術を受け、症状は劇的に改善されました。何よりも精神的な苦痛から開放されたことは、大変大きな収穫です。でも″完全には戻りません。″このことは皆さんにしっかり伝えておくべきことと思っています。そして個人差もあるであろうことも。僕は手術を受けて本当に良かったと思っています。心からそう思えます。電話も会議も怖くなくなり、病気のことでイライラすることもなくなりました。
 今回、少しでも皆様のお役に立てればと思い、手記の依頼を引き受けましたが、同時に大変お世話になった方々、そして今もお世話になっている方に、僕の文章から感謝の気持ちがお伝え出来れば幸いです。