【 真理子さんからの手紙 】 |
大学4年生の春、声が出にくいことに気づきました。徐々に悪化し、やがて生活に支障が出るようになってから、病名がわかるまでに2年かかりました。私の場合、病名が判明するまでが一つの山でした。数軒まわった病院で「精神的なものですよ。」というドクターの言葉を聞くたびに、自分自身の中に原因を求めざるを得なくなり、それが一層自分を苦しめました。ですから、痙攣性発声障害と判明したとき、「病気のせいなのだから、私が悪いわけではないのだ。」という思い。その時点で私の苦しみの多くが完結しました。私も多くの患者さんと同じように、日常生活における苦労を知っています。また発症後に就職活動の時期を迎えたため、電話や面接など「人前で話すこと」を避けられず、採用が決まるまでに苦しい時間がありました。 ところで、発症から今日まで、少しずつ自分の思いが変化しているのを感じます。初め、自分が置かれた状況に泣き、誰か(もちろんSDの方を含めて)に話を聞いてもらい「わかる、わかる。大変だよね。」と共感してもらうこをとても求めていました。やがて、この病気や自分の置かれている状況を理解したいと思うようになり、またこの病気とどのようにうまくつきあっていくかということに関心が移りました。そして、自分も含めSD患者のみなさん全体にとって、必要なことは何か、また自分ができることは何かと考えるようになりました。私にとってSDの会とは、今、上に述べました3つの思いを満たす場なのではないかと思っています。また、SDの会のみなさま、お一人お一人にもそれぞれ違った思いがおありだと思うのですが、その思いが少しでも満たされることで、問題の解決につながれば素晴らしいと思います。私にできることは少ないと思いますが、そんな会づくりのお手伝いができたらと考えています。 |