【 初めて注射を受けて 】


 27年程前から次第に、のどの調子が悪くなり、詰まってくるようになりました。毎日耳鼻科へ通っていましたが良くはならず、結婚後上京して、総合病院の耳鼻科へ行ってみました。「声を出す時に力を入れるから…」と言われ、色々試して下さいましたが変化はなく、「東大に音声外来があるから、そこへ行ってみるように」と、紹介状を書いて下さいました。今から17年前の事です。診て頂いた結果、「声帯には異状はありません」とのことで飲み薬を出されましたが、飲むといいような気がする程度で、そのままになってしまいました。

 子供が幼稚園に入って初めての家庭訪問の時、聞いてみたい事はたくさんあるのに一言も言い出せませんでした。子供が「本、読んで!」と持って来ても、開いただけで読む事ができません。ワラをもつかみたい思いの中、楽しい気分でいる時には出やすくなる気がして、前向きになる様に努力しました。人と話す事に慣れるようにと、あえて学校の役員も引き受けました。自分の名前すらはっきり言えない事もありましたが、自分の心をなだめながら、明るく明るくと努めて来ました。しかし、どんなに努力しても出ない時は出ず、心身ともに息苦しく胸苦しく、周りには理解してもらえない事で、さらに苦しい思いもしました。

 他の耳鼻科で耳を診て頂いた時に、私の声を聞かれた先生が、「それは○○性発声障害と言うもので、治療薬が出来たばかりなので、あと
5年位して行ってみたらいいですよ。」と言って下さった事がありました。治る薬が出来たのだと、とても感激した覚えがあります。そして今年、更年期障害等と重なった色々な症状で検査を受けた内科の先生が声の方も心配して下さり、「耳鼻科でも一度診てもらったら」と紹介状を書いて下さいました。ここではっきりと、けいれん性発声障害であり、注射が有効である事を知りました。他にも同じ患者さんがいて、その会までが出来ている事を知り、とても心強く思いました。しかし、ボツリヌス菌から作られた薬というのが飲み薬だと思っていた私は、声帯に直接注射すると知って、とても不安になりました。インターネットで検索し、SDの会のホームページにも触れて、注射治療の詳しい内容が分かり、とても参考になりましたが、詰まって出にくい時の声は良くなっても、症状が軽くて比較的すんなり出る時の声はどうなるのだろうかなど、不安はつのるばかりでした。耳鼻科の先生が、「とにかく行ってごらんなさいよ、同じような人がたくさんいるから。」と励まして下さったのでやっと決心ができ、17年振りに東大へ行き、初めて同じような方の声を聞きました。そして、初めてのボツリヌストキシン注射。受けてみれば何ということはありませんでした。その日の会合に出席し、手術を受けたけれども駄目だった方のお話や、注射の後に声が嗄れれば嗄れるほど、後の良い状態が長く続く等のお話を聞かせて頂く事ができ、参加して良かったなあと思いました。

  次の日は、子供の学校関係でバスハイクに参加しました。バスの中で自己紹介のマイクが回ってきました。詰まらなくなっていた私は自信を持ってマイクを握ったのですが、声が嗄れて息が続かずほとんど話せませんでした。これ程までに嗄れるとは思いもよらず、とてもショックでした。週
1回のコーラスでも、高い音になると全く声がなくなってしまい悲しい思いをしました。このような状態がいつまで続くのだろうと思いつつ受診すると、私の場合は詰まる上に震えもあるため、薬の量が足りなかったそうで、中途半端な効き方とのこと。1ヵ月後に再び注射を受ける事になりました。2回目の後は、むせてむせて、気管に入りかけた水分を出す為の咳さえも、息が抜けてなかなか出せませんでした。声帯がこんなにも様々な働きをしている事を初めて知りました。声は1回目以上に嗄れましたが、これは慣れて行くのだなと分かりました。

 私が注射を受けて一番大きく変わったのは疲れ方です。これまで、詰まる時は何度も深呼吸をし、軽く出そうと心がけてもなお出なくて苦しい事が度々でした。その事がこれ程までに体を疲れさせていたのだという事を初めて知りました。注射から
2ヶ月経った今、時々声が裏返ったりしますが、嗄れることもなくなり詰まらずに出ています。声が普通に出る事が当たり前ではなかった私にとって、今、楽に出ている事を心から感謝し、このまま良い状態が続くことを祈らずにはいられません。そして、自分がけいれん性発声障害だと知らずにあらゆる苦労をしている人の一人でも多くに道が開き、心身共に楽になられる事を願ってやみません。その為にも、SDの会のパンフレットが果たす役割は非常に大きいと思います。良いパンフレットが完成することを祈りつつ、これからのSDの会に期待しています。