【 注射治療を受けて 】


 声の異状に気が付いたのは今から4年ほど前の平成116月のことだった。コンピューターエンジニアとして自営業をしている私は取引先からの電話での会話の中で、喉を締め付けられるような感覚があり、緊張時の発声になっていることに気付いた。その時は精神的なストレスからだろうと思い、しばらくすれば自然に治るものだろうと安易に考えていた。一ヶ月が過ぎた頃には話そうとすると喉を中心に腹部にまで力が入り、全く発声が出来なくなっていた。車に例えるとアクセルペダルとブレーキペダルを同時に踏んでいるような感じである。無理に声を出した後には喉が痛くなり全身が汗びっしょりになる状態だった。家の近くの心療内科での診察の結果は、やはりストレスが原因と言われ精神安定剤系の薬を飲み続けていた。しかし1年経っても症状に改善が無かったので、紹介状を書いてもらい大学病院の神経内科と耳鼻咽喉科で診察を受けたのだが、どこも異状なしという結果だった。

 『痙攣性発声障害』だとわかったのは、【
SDの会】のホームページがきっかけだった。「まだあまり知られていない病気なのかもしれない」とインターネットで調べてみようと思ったのだ。しかし検索キーワードがわからない。そこで主治医のドクターに自分の声の異状を医学的に何と呼ぶかを聞いてみたのである。キーワード=『失声』。このキーワードから検索された膨大なページを調べてみた。ほとんどが精神的な失声の内容であったが、「これだっ!!」というホームページを見つけたのが【SDの会】であった。少し光が見えてきたような嬉しい感じがした。この時、症状が現れてから3年半もの月日が経っていた。

 初めて注射治療を受けたのは昨年の
12月。注射治療に対する不安よりも自宅から病院までの道中が不安で仕方なかった。恥ずかしい話だが初めて飛行機に乗るのである。調べてみると岡山からだと飛行機の方が新幹線よりも時間的に速くまた旅費も安いのである。空港で分からない事があっても声が出ないだけに人に聞けない。不安でいっぱいであった。治療は思っていたよりも全然楽で「これだけ?」といった感じだった。鼻からファイバースコープの挿入の方がよほど苦痛である。あっけなく終わった治療だったので、これで本当に声が出るようになるのかと帰りの飛行機の中で半信半疑だったが、効果が認識できたのは、治療を受けた翌日の朝のことだった。「あ〜」と声を出してみた。今までとは違う感覚。楽に出る。ブレーキがかからずスムーズに加速する感覚。3年半ぶりに普通に声が出た瞬間であった。長い年月、正常な発声が出来ていなかったためと薬の効果がまだ安定していなかったためだと思うが、低い声から「ド」、「レ」、「ミ」、「ファ」、「ソ」までであった。それ以上の高い声はかすれた声であった。とりあえず楽に声が出せるようになった嬉しさのあまりその日夜遅くまで友人や知人に電話をかけまくった。実に3年半ぶりの楽しい会話であった。通院していた心療内科のドクターも正常な私の声を聞いて驚いていた。『痙攣性発声障害』の本を紹介したところ、ドクターも興味を持って読んで下さり、一人でも多くの医療関係者にこの病気を知っていただけたことも大変嬉しい事であった。

 注射治療後
1ヶ月ほど経った頃から、あの喉にブレーキがかかる感覚が少し出てきた。「まだ1ヶ月なのに・・・」という気持ちもあったが、「また治療を受ければ大丈夫」という気持ちでいた。声が出にくくなって2ヶ月後、かなり会話をするのが難しくなってきた。2回目の治療は5月に行ってきた。前回は初めてだったせいもあり、他の患者さん達とお話をする事は無かったが、今回は院内の会議室を設けて下さっており、そこで数人の方とお話をする事ができ、心強かった。現在2回目の治療から2ヶ月が経ったが、初回よりも薬の効果が長く続いているようで、日常会話で困るほどではない。

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日でも早く社会的に正しくこの病気が理解され、いつでもどこででも治療が受けられるようになることを願うとともに自分自身も努力をしていきたいと思う。
 平成15714日   .

天見笙吾 (仮名)  
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